毎年旧暦2月8日、ハイフォン市の人々及び大勢の訪問者がレチャン女将軍を偲ぶゲー神社及びアンビエン神社の祭りに参加します。これは昔のハイタンフォントゥー町すなわち現在のハイフォン市を確立したレチャン女将軍の恩を偲ぶためのハイフォン市最大級の祭りです。
歴史研究者の資料によりますと、レチャン女将軍はキンモン府、ドンチエウ県、アンビエン町(すなわち現在のクアンニン省、ドンチエウ県、アントゥイ村)で生まれました。
レチャン女史は教師兼薬剤師の両親を持ち、美しく、賢く、とても魅了的な女性でした。父親はレダオ(Lê Đạo)で、母親はチャンティチャウ(Tran Thi Chau)です。交路郡の太守トデイン(To Dinh)の求婚を断ったため、家族への報復が続き、遂に父親レダオが殺害されました。

強い意志により、レチャン女史は地元住民と力を合わせ、海に面し、水上の経路が便利な安洋(An Dương)県を選び移り住み、豊かな町を確立しました。故郷の村の名前に因んで、この土地をアンビェンと名付けました。10年間において、この土地でレチャン女史は、軍士を募り訓練をしながら海岸を開発、農業にも力を入れ、住民の生活を安定させなした。
40年の春、東漢軍に対するチュン(Trung )姉妹蜂起がメリンで始まり、多くの地方の人々の参加を集めました。アンビエン町で、レチャン女史は蜂起の呼びかけに賛同し、軍士を連れてチュン姉妹と合流し、力を合わせて漢を追い出しました。多大な貢献により、レチャン女史はチュン姉妹に「軍士管理人」兼ハイタン(すなわち現在のハイフォン)防衛担当者に任命されました。拝命後、レチャン女将軍はアンビエン町に戻ってきて、軍士を募り訓練をし続け、海岸を開発し、重要な東拠点として守っていました。
ハイフォン市の人々にとって、ゲー神社祭り及びアンビエン神社祭りが海沿いハイフォンの最大級の祭りです。毎年、春になると、レチャン女将軍の恩及び誕生日を偲ぶこの祭りが行われます。
これらの祭りは毎年旧暦2月8日から10日にかけて行われているものです。この3日間で、誰でも、どこでも、いくら忙しくても、神社に立ち寄って、レチャン女将軍にお供え物や線香を手向けて、新年の幸福を祈ります。それはハイフォン海岸都市の人々の代表的な文化を表す良い習慣だと見られています。
行列はゲー神社祭り及びアンビエン神社祭りのメインとなることです。行列は神社からディン(Đình 亭・村の守護神を祀り、村の集会や祭りなどが行われる所)までの約1キロメートルを練り歩きます。伝統的音楽と共に、参加者は練り歩きながら、港湾都市ハイフォンの守護神の恩を偲びます。
行列はディンに到着したら、終わります。全行列が到着した後、神饌、神棚等が3日間でディンに置かれます。儀礼は毎日2回行われます。
伝統習慣の中で、レチャン女将軍へのお供え物には花、線香、おこわ、果物、肝臓、大腸、小腸を除いた豚肉にあります。これはレチャン女将軍の好きなもので、祭りで欠かせないお供え物になります。
行列の後、ハイフォン市を始め、ベトナム民族に貢献したレチャン女将軍の恩を振り返す儀礼があります。この儀礼の中、各王朝時代がレチャン女将軍に授与した冊封も村民の立合の下で尊敬的に読み上げられます。